7月23日に開会式をした東京オリンピックが、本日8月8日に閉会式を行います。

開催に先立って、色々と批判や不安を巻き起こした大会でしたが、蓋を開けてみたら毎日テレビに釘付けだった人も多いのではないでしょうか。

 

なんだかんだ言っても、ひたむきに頑張っている人を応援したくなる気持ちに、国境はないのかもしれません。
そういう意味ではオリンピックは、世界中の国々が交流するという大切な役割を果たせたのではないでしょうか。

 

柔道家の山下泰裕氏がおっしゃるように「勝った負けただけではない世界」が、そこにはある気がしました。
勝っても喜びを爆発させることも、負けて悔し涙を流すことも、終わったと安堵の笑みを浮かべることも、世界中の人に共通でした。
どんな時も、相手への労わり、感謝、敬意を潔く示せることは、スポーツマンとして最高の人格だと思います。

これは特に武道の世界で、昔から重視されてきたことでもあります。
こうした相手への敬意や感謝を持つことや、勝っても相手に気を使って喜びの表情を出さないという考え方が、日本武道に特有のものだとは思っていません。洋の東西を問わず、世界中でそうした気持ちは分かってもらえるものと思います。
オリンピックはそうした、世界中でみんな同じだという一体感を感じさせてくれる良さもありました。

 

また、東京オリンピックは選手のメンタルヘルスについて一石を投じた大会でもありました。
名前は伏せますが、テニス、体操、水泳などの選手が自ら「選手のメンタルヘルスにもっと気を使え」と発信したことは、非常に勇気のいることだったと思います。マスコミにとって、選手に何を質問するかは事前に考えておくものなのは、当たり前かと思います。
たとえば「今のお気持ちを聞かせてください」「コロナでこの1年間どんな気持ちでしたか」「テレビの前で応援してくれた皆さんに一言」など、確かに事前に用意しておく段階では中立的な質問で、勝っても負けても使えそうな質問ではあります。

 

しかし、思いがけず負けてしまって茫然自失の選手や、ショックで悲しみにくれる選手にとって、これらの質問は傷に塩を塗るような追い打ちをかけて聞こえることもあります。悲しいとか悔しいでは言い表せない気持ち、これまでかけてきた時間や労力やお金、たくさんの方の応援。全てが一気に押し寄せて、整理のつかない感情になるでしょう。特に最後の3つ目の質問は、角度を変えると「テレビの前の国民に謝れ」と言ってるようにさえ聞こえます。

有名選手なのだから、インタビューに答えるのは当たり前。そこまでが責任だ。と言われたら、それはそうかもしれません。
しかし、どうして「当たり前」なのでしょうか。
考えてみると、私たち一般の人間も、仕事だから責任があるから、と自分の心を殺して、我慢して何かに耐える毎日を送っています。
だから有名選手だって、勝っても負けても、心を殺して、我慢して、テレビカメラの前に出ろと思ってしまうのかもしれません。

 

もっともっと私たち自身も、自分のメンタルヘルスを優先して、自分を大事にして、自分の感情に素直に生きてもいいのかもしれません。
私たち自身にそれが許される文化になれば、スポーツ選手だからといって強要されることも、もっと減るような気がします。

 

話がメンタルヘルスの話題に反れてしまいました。

 

東京オリンピックは、コロナ禍の中で、大きな天候の崩れもなく、17日間の日程を無事に終えることができそうです。
選手、関係者、全ての皆様のお力添えに、感謝と敬意を申し上げます。

 

みなさん、大変お疲れ様でした。楽しい時間をありがとうございました。